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塾生
「社会の最底辺」から見た奇跡
2019.06.28
全国およそ100万のひきこもり当事者や、その家族からの「相談」が増えているようです。
僕もかつては不登校・ひきこもりの当事者でした。そして今は体験者の一人です。
執拗ないじめがきっかけで、中2の頃対人不安などの神経症の症状が出て、次第に学校に行けなくなりました。
20歳の頃には統合失調症との診断を受けて、先の見えない入退院を繰り返す日々が延々と続きました。入退院は短期・長期を含め計8回に及びます。
退院をするたびに失った時間を一気に取り戻すべく、来る日も来る日も仕事を探す日々。
応募、面接、不採用。何のスキルもコネもトリエもない僕の無謀な挑戦と挫折の繰り返しは100回(100社)以上に及び、いつしか自分を「社会の最底辺にいる者」として位置付けるようになっていました。
先が見えない中では、そう位置付けることでしか「生きる」ことは続けられなかったなと、当時を振り返ってそう思います。
何のスキルもコネもトリエもない自分に相応しい「あきらめ方」を言い聞かせるのは思っていたよりも難しく、あきらめようとすればするほど猛烈な自己嫌悪と劣等感、悔しさ、涙がこみ上げてくる日々が長く続きました。
その抑えられない感情を一瞬でも忘れさせてくれたもの、癒してくれたものは、本と音楽、そして詩を書くことでした。司馬遼太郎の作品と尾崎豊の楽曲・歌が大好きで、折れてしまいそうな心を、入院中も、就活中も、自宅でひきこもっているときも、ずっと支え続けてくれました。そのときのあたたかく包まれるような心地よさは、真冬にすっぽりと頭から被る柔らかい毛布のようで、ささやかなしあわせを実感する時間でした。
詩は、ほとんど入院中の狭いベッドの上で書いたもので、のちに詩集「架空線の彼方」というタイトルで自費出版する原作となります。このことは次の投稿ブログでお話ししたいと思います。
先の見えない、ただ生存しているだけのような僕の転機は、37歳のときに訪れました。「生活・就労トレーニングセンターファンタジスタ」との出会いです。のちに詩集「架空線の彼方」を自費出版する勇気も、この出会いから生まれたものでした。
「生活・就労トレーニングセンターファンタジスタ」は、市の指定を受けた「就労支援事業所」で、ソーシャルスクールつなぐ塾が行う「職業訓練コース」の主要な訓練場所の一つでもあります。今53歳なので、お世話になってからかれこれ16年になります。
入院すれば「患者」。退院すれば「障害者」。
14歳の頃から「2つの世界」しか知らず、「普通の暮らし」を渇望しながら生きてきた僕にとって、ファンタジスタとの出会い、特に代表の森本さん、ソーシャルワーカーのみかさん、このお二人との出会いはとにかく新鮮でうれしかったです。
「ファンタジスタ」という名のとおり、まさに自分にも残されている「奇跡」を信じてみよう。出会いからまもなく、そう思うようになりました。
つづきは次のブログに書きたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
塾生(職業訓練コース)久米仁一